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イントロダクション
INTRODUCTION
イタリア映画史で異彩を放つ孤高の映像作家、
ミケランジェロ・フランマルティーノ
本邦初公開のデビュー作を含む全長編3作品を一挙上映!
イタリア映画史において唯一無二の存在感を放つ映像作家、ミケランジェロ・フランマルティーノ。その作品は、言葉に頼らず、南イタリア・カラブリアの荘厳な風景や、そこに刻まれる時間の神秘を静謐なカメラワークで描き出します。人間、動物、大地、そして闇──すべての存在が等しく尊厳を持ち、調和の中で生きる様子を映し出すその世界には、誰も見たことがない驚きと畏敬が満ちています。
情報が溢れ、膨大な映像が消費される現代において、フランマルティーノの映画は「見る」という行為の根源的な意味を問いかけます。そこにあるのは、明快な物語ではなく、光と影の移ろい、風のささやき、動物の息遣い──世界そのものの奇跡を感じさせる、詩的で豊かな映像の連なりです。カラブリアという古の土地を舞台に、消えゆくものへの惜別、生命の循環、そして未知の世界への探求を描く彼の作品は、観る者の心に静かな驚きと深い余韻を残します。それは、現実を超えた世界の奥行きに触れる映画体験であり、私たちを神秘とワンダーの中へと引き込むのです。
本特集では、デビュー作であり日本初公開となる『おくりもの』(4Kレストア版)、カンヌ映画祭で喝采を浴びた『四つのいのち』、そしてヴェネチア映画祭で3冠に輝いた『地底への旅』の全長編3作品を一挙上映します。フランマルティーノが描き出すのは、言葉を超越した「存在の映画」の極致。目の前に広がる驚きと美しさを、ぜひ映画館で体感してください。
コメント
COMMENT
命に飲み込まれるような物語だ。
同じ土地の上に牧夫の、山羊の、木の、木炭の足跡が静かに塗り重ねられていくのを感じながら、見ている自分自身も今まさに薄い足跡を重ねながらここにいることを思う。
静謐に巡るこの円環は、たしかに、「私」に「あなた」に連なっているのだ。
篠原かをり
作家・文化昆虫学者
※『四つのいのち』に対して
これまで経験したことのない映画の表現に圧倒され、自然(特に動物も含む)と人間の根源的な関係、文明とは何だったのか、生と死の循環など、改めて考えさせられる。しかも美しい映像、音、環境の表現と共になので、新鮮な驚きを持って楽しめた。
切り立った崖の上に堅固に聳える村(ボルゴ)の内部に入ると、カラブリアらしい坂道、階段が複雑に入り組んだ立体迷宮空間が待ち受ける。近代から完全に見捨てられ、住民の大半が去った古びた建物群や街路は、より迫力ある存在となって眼に映る。
陣内秀信
法政大学名誉教授 イタリア建築史
※全作品と『おくりもの』に対して
この作品は、「世界」についての一篇の詩だ。
世界はむくりと起き上がり、ありありとその姿を現した。
映画って、こんなにすごいことができるのか。
永井玲衣
作家・哲学者
※『四つのいのち』に対して
先がよく見えない…進んでみないとわからない…洞窟を進んでいる探検隊と人生の終焉が近づいているおじいさん…、両者は違う世界にいても同じ時間に存在して命という時間を使って生きている人間。洞窟探検は人生に重ねやすい。
どんな生き方をしても必ず終わりは来るが1つとして同じ人生は無く、尊いモノだ!と考えさせられる映画でした。
ちなみに、洞窟内を移動しているシーンで当時の装備が気になりました。
特に光源です。今はLEDが当たり前になった時代ですがカーバイトランプ(アセンチレンガスを発生させて火をともすランプ)を使用しているところが歴史、時代を感じさせられました!
当時、あるモノを駆使して探検!こんなモノがあったらいいな~と開発…そうやって人は進化してきたことも考えさせられました。
吉田勝次
洞窟探検家
※『地底への旅』に対して
監督
DIRECTOR
監督:ミケランジェロ・フランマルティーノ
Michelangelo Frammartino
1968年ミラノ生まれ。ミラノ工科大学建築科にて、物理空間と視覚イメージの関係を探求し、インスタレーション作品や短編映画を制作。建築家としての視座と現代美術的手法を映画に持ち込み、「スロー・シネマ」の旗手として国際的評価を確立。対話をほとんど持たない映像言語、固定カメラによる長回し、自然音を主体とした音響設計によって、人間中心主義を超えた独自の映画世界を構築する。カンヌ、ヴェネチア、ロカルノをはじめとする世界の主要映画祭でも高く評価される現代映画の最重要作家の一人。
解説
COLUMN
カラブリア 海と山のコントラスト
北村暁夫 日本女子大学教授
   ミケランジェロ・フランマルティーノ監督による三本の作品は、いずれもイタリア半島最南部のカラブリア州において撮影されている。カラブリアはイタリアの20州の中で、日本人にとって最も馴染みの薄い地域の一つであろう。この州の特徴を一言で説明するとすれば、海岸部と内陸部の鮮やかなコントラストであると思う。
   長靴の形をしたイタリア半島のつま先に位置するカラブリアは、全長800キロメートルに及ぶ長い海岸線を有し、西側がアドリア海、南側と東側をイオニア海に囲まれている。アドリア海側を隣接するバジリカータ州との州境から南下すると、しばらくは海岸の背後に険しい山々がそびえているため、帯状に細長く続く平野を進むことになる。このあたりは農耕に適した土地はわずかだが、夏は海水浴場などリゾート地として賑わいをみせる。カラブリア南部に入ると一転して視界が開け、海岸沿いに比較的広い平野が現れる。そこは古くから柑橘類の栽培が盛んで、とりわけ香料として利用されるベルガモットは地域の特産品として知られている。
   アドリア海側のほぼ南端に位置するのが州都レッジョ・カラブリアである。風光明媚な港町で、メッシーナ海峡を挟んでシチリア島が眼前に広がる。メッシーナ海峡付近はこれまで幾度となく大規模な地震の震源となり、レッジョ・カラブリアも19世紀末から20世紀初頭にかけて頻発した大地震によって甚大な被害を受けた経験を持つ。そのため、歴史的価値のある文化財はほとんど残っていないが、20世紀に再建された都市は近代的で、瀟洒なたたずまいを感じさせる。
   レッジョ・カラブリアからつま先を回り込むように東に向かうと、イオニア海側に入る。長靴の形で言えば靴底から土踏まずの部分に当たる。この地域は、紀元前8世紀頃からギリシア人による植民都市が作られた。その代表的な存在であるクロトーネには、かつてピタゴラスが居住し、自らの宗教的・思想的組織を結成して活動したことでも知られている。イオニア海側には開けた空間が多く存在し、そうした平野部では小麦をはじめとする穀物栽培やオリーブ・ブドウなどの栽培が行われている。
   これに対して、カラブリア州の内陸部では、イタリア半島を縦断するアペニン山脈の最南端に位置する山系が南北に貫いている。北にはバジリカータ州との州境にポッリーノ山系、南にはアスプロモンテ山系がある。いずれも最も高い峰が2000メートル前後であり、決して高い山々というわけではないが、傾斜の大きな険しい山が連なっている。平坦な土地は少ないが、傾斜地を利用した穀物栽培やオリーブ・ブドウなどの栽培、羊やヤギの放牧が行われてきた。
   内陸部には、英語圏の研究者によってアグロタウン(農民都市)と名づけられた、農民が数千人の単位で集住する独特の景観の大規模集落が点在している。アグロタウンはカラブリアに限らず、イタリアの中部から南部にかけてのアペニン山脈沿いの丘陵・山間やシチリアの内陸部に広く見られるものである。
   写真は、私がかつて移民の歴史を研究するために調査を行ったカラブリア州北部のモラーノ・カラブロという町である。『地底への旅』の舞台となったポッリーノ山系の麓にあり、同作に登場する洞窟にも比較的近い場所に位置している(洞窟の存在については、筆者は本作を見るまで知らなかったのだが)。南東斜面にびっしりと家が立ち並ぶ景観は、アグロタウンの中でもとりわけ強い印象を与えている。最も低い地点の標高はおおよそ700メートルだが、町の中だけで100メートルほどの標高差がある。
   イタリア中部から南部にかけての内陸部にアグロタウンが数多く存在するのは、飲料水を確保できる場所が限定されていたこと、治安が悪いために集住によって外敵から身を守ろうとしたこと、そして何よりも、標高の高いところに居住することで、古くから悩まされていたマラリアという病いに罹患するリスクを減らそうとしたことといった理由が挙げられる。
   かつて農民たちはこの都市的な空間に居住し、農作業を行うためにアグロタウンの周囲に広がる農地に時間をかけて歩いて通っていた。山間・丘陵という地形もあって農地は狭く、農業だけで生活していくことは難しかったために、林業や機織りといったさまざまな仕事を組み合わせて生計を立てていた。そうした仕事のなかには灌漑施設の整備といった、村の外に出稼ぎに行くことも含まれていたのだが、それが19世紀後半になると、海を渡って移民するということにつながっていく。
   イタリアは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、国全体で1700万人にものぼる移民を国外に送り出したが、カラブリアは移民が最も多かった地域の一つである。その大半は南北アメリカに向かい、モラーノの場合はブラジル、アルゼンチン、コロンビアといった南米に向かう人々が多かった。第一次世界大戦後にファシズムの政権が誕生すると移民は激減するが、第二次世界大戦後には再び移民が復活する。この時にはそれまでとは異なり、(西)ドイツ、スイス、フランスといったヨーロッパ諸国に向かう移民が大半を占めるようになった。カラブリア(あるいは南イタリア全般)からの移民の流れは1970年代まで続く。そして、1990年代以降は、むしろアフリカや東欧などから外国人労働者が流入する地域へと変貌していくことになる。
   移民の送り出しというと人口の急激な減少を想像するかもしれないが、19世紀後半から1970年代にいたる時期のイタリアからの移民は、どこかのタイミングでイタリアに帰国する「出稼ぎ」タイプの人々が多く、また、人口が増加し続けていた時期であったこともあり、人口減少をもたらすことはなかった。モラーノをはじめとする南イタリアのアグロタウンも一定の人口規模を維持し、むしろ、移民(出稼ぎ)という経済的な営みによってお金が回ることによって町を維持することが可能であったとさえ言える。
   ところが、20世紀末以降、人々が移民に出ることもなくなり、戦後一貫して政府によって行われてきた南部振興策も厳しいEU(ヨーロッパ連合)の縛りによって打ち止めとなることによって、21世紀のカラブリア内陸部のアグロタウンは軒並み、著しい人口減少に直面することになった。移民として人々が外国に行くことがなくなったから過疎化が進行するというのは、何とも皮肉な事態である。
   大きな問題を抱えるカラブリア内陸部であるが、フランマルティーノが紡ぎ出す映像は、それを微塵も感じさせることのない、穏やかで豊かな農村世界である。